カテゴリー別アーカイブ: 言挙げ(宣言書)

発刊十周年をむかえて 宮永光雄

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発刊十周年をむかえて

 宮永光雄

  前回にて、節目となる六十号まで発刊することが出来ました。

弊出版会の母体でありますホツマ研究会赤坂例会は、昭和五十九年に松本善之助先生が六本木のホツマ研究会から独立させたものです。松本先生は、日本の各地でホツマ研究を毎月指導され、研究図書の出版と月刊『ほつま』を引退発表されるまで(二百四十八号まで)書き続けられました。

最近見せていただいた資料(『ほつま』五巻十一号から六巻一号の三冊)によるとホツマツタヱ発見から発表されるまでの緊迫感は、想像を絶するものであった事が分かります。当時と比べ今は伸び伸びとした環境で研究が続けられています。スス暦アスス暦の解釈、ホツマツタヱに記された解釈困難語(ホツマ難語)の解明作業、ホツマツタヱ・ミカサフミの具体的な訳文・相違点、古事記・日本書紀が成立する経緯の類推、ホツマツタヱと考古学との接点のひとつ縄文式土器の画期的解釈、ホツマツタヱとゆかりの地紀行文、陰陽五行とホツマツタヱのアワヰクラムワタヲの解釈など何の妨害も無く誌上で発表できたことは、大変に有り難いことだと思います。殊にスス暦解明、武内宿禰とホツマツタヱの関係・三十九個の銅鐸発見の解釈は、これから新しい展開があるのではないかと期待しております。

最近の経済事情・天災・原発安全対策等の問題で不安がつのる一方ですが、ブータン国王夫妻が東日本大震災のお見舞いにおいでになりお二人の心温まるお言葉とお振る舞いに、日本人は忘れていた何かを思い出して感激しているようでした。やはり日本人のDNAには、ホツマツタヱの教えが刻み込まれているように思いました。ある程度ホツマツタヱを分かっていただければ、かのアインシュタイン博士が大東亜戦争(太平洋戦争)よりずっと前に来朝された時に残された有名な言葉「、、、、、最後に闘争に疲れるときが来るだろう。、、、、、この世界の盟主になるものは、武力や財力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した最も古く、また尊い家柄でなくてはいけない。『日本の御皇室』のように。、、、、、我々は、神に心から感謝する。天が我々人類に『日本』という尊い国を作っておいてくださったことを、、、、、」を実感できる日本人になれるのではないかと思います。初心を忘れずに普及活動の意味も含めて第六十一号以降を発刊させていただきます。

読者の皆様・執筆者の皆様そして編集出版にご協力していただきました方々に、厚く御礼申し上げます。今後とも末永くよろしくお願いいたします。

平成二十四年五月吉日

 

 

『検証ホツマツタヱ』 創刊巻頭言

日本製木造スクーナ帆船AMI号

日本製木造スクーナ帆船AMI号

 

「発刊に寄せて」       宮永光雄

ホツマと呼ばれる文字(以下ヲシテという)によって書かれた『ホツマツタヱ』を、松本善之助氏が再発見し研究発表されてから、もう三十年ぐらい過ぎてしまった。しかし、未だに一般の人々に浸透していない。それは、第一に『ホツマツタヱ』をはじめとする『ミカサフミ』及び『フトマニ』というヲシテで書かれた写本(以下ヲシテ文献という)の内容が、日本書紀や古事記以前の本物であるという証明がしっかりされていない為であろう。第二に、ヲシテ文献の内容があまりに素晴らしいが為に、漢字かな混じり文に訳しただけで、第一人者気取りになってしまったり、不思議な箇所を直に心霊現象と結び付けてしまったり、民俗学などで自分の説の補強に利用しようとしたりなど、理解を深める方向に進まずに留まって満足してしまう方々が、障害となっている。これも、ヲシテ文献の見えざる力かもしれないが、もう一度根本に戻って、具体的かつ合理的に解釈する努力を積み重ねなければならない。かつてヲシテ文献は、いく度も現れてはまた埋もれるという事を繰り返しているようである。たとえば、菅原道真も『フトマニ』の「アキニの歌」を良く知っていたから、あの有名な和歌(こち吹かば匂いおこせよ梅の花、、、)をよんだに違いないと思うのであるが、当時もヲシテ文献を禁書扱いにしていたのであろう。他に形跡が見当たらない。今後ますます世の中は情報過多の時代となるであろうから、ヲシテ文献の存在を確かなものにしなければ本当に消えてしまうかも知れない。このような折、同志の方々の気運が高まり、基本的なある編集方針にもとづき『検証ホツマツタヱ』を発刊する運びとなった。その方針とは、極力難しい漢字を使わず解りやすい表現方法で執筆することである。また、内容についての質問に対して執筆者が責任を持つこととした。

最後にヲシテ文献を残して頂いた神々先人、先輩の諸氏に御礼申し上げるとともに、真摯かつ和やかな態度でこれからの研究発表をおこなっていきたいので、読者の皆さまの絶大なご支持ご協力及びご批評をお願い申し上げる。

平成十四年五月十七日

次代のホツマ研究に向けて  今村聰夫

松本師の分身とも言える月刊『ほつま』がついに廃刊となった。六年前に大病を乗り越えた後、師は前にも増して『ほつま』出版に情熱を注がれた。奮闘される師のお姿は痛々しかったが、私たちは『ほつま』を存続させるために、出版を肩代わりすることが出来なかった。なぜなら『ほつま』は常に師の精神を象徴するモノザネだったから。誰しも、『ほつま』は師の手を離れる事があれば亡骸と化すだろうと思っていた。師も私たちも、それを望まなかった。『ほつま』は松本師の体力と運命を共にしていたのである。

今、私たちはホツマ研究の第一段というべき、一時代が終わりを告げたと感じている。それは、ヲシデ文献の新発見から今日までの四半世紀、ホツマの体系的研究では唯一の専門家として、松本師が道を切り開きつつ孤独な歩みをされた時代であった。私たちは師からホツマの素晴らしさを学び、師を行司として互いに討論し、師の評価によって自論の勝ちを判定して来たが、師を継ぐべき人物を輩出する事は出来なかった。
そして今私たちは、ホツマ研究の第二段階に進もうとしている。それは師が切り開いた道を整備すると共に、新たなる道を作るために未開の地に鍬を入れることだ。
この出発は、一からの出直しになるだろう。なぜならば、松本師のパーソナリティーという求心力を失った今、それに代わる物として、新たなる組織を作り、その中で求心力を育てていかなければならない。
幸いにして、盛岡在住の先輩である鏑氏が、会報ホツマの編集発行を引き受けて下さったので、十月十五日の赤坂研究会に代えて、岩手山麓国民休暇村での親睦会とした。参加者は十一名、翌日は田沢湖で鏑先輩と別れ、東京から駆け付けた一名を加えて、二日間にわたる出羽三山詣でを行った。
次代のホツマ研究に向けて、私たちは今スタートを切ったところである。

会報ホツマ 創刊号 巻末「キツサネ」欄より
(平成七年一月)

会誌ホツマ 題字よこ 定型文(マニフェスト)

「ホツマ」とは「まこと」の意。「ホツマの国」は、往古、関東一円と東海地方の一部を含む地域の国名で、かつ日本国の美称である。

本誌は、古代日本の実相を探求するため、多くの人々に情報の交換と意見発表の場を提供するとともに、日本の真実の姿を解き明かしていこうとするものである。

会誌ホツマ創刊にあたって    鏑 邦男

「ホツマツタヱ」発見者、松本善之助先生の三十年にわたる血のにじむようなご努力が神に通じたのか、平成四年五月、「ホツマツタヱ」執筆者、三輪氏大田田根子命の直系の和仁估安聰(わにこやすとし)筆録の「秀真政伝紀」全巻が発見され、その覆刻本が翌年九月に刊行されました。また、昨年には、安聰原文対照訳本として拙著「ほつまつたゑ 全」を浅学非才の身も顧みず出版いたしました。未だ不完全なものとはいいながら、これらの図書によって日本の古代に関心を持たれる方々に、ホツマ研究のため最も必要な基礎的資料を提供できたものと存じております。

「ホツマツタヱ」はご存じの通り縄文時代晩期より弥生時代までの日本の国づくりの歴史を記述したものです。しかしそれは単なる歴史書にとどまらず、香り高い最高の文学作品ともいえるもので、その内容は考古学、宗教、民俗風習、言語、音楽、食物、動物、植物、鉱物、暦学、天文学、刑法、建築、乗馬など広汎な分野に及び、それぞれの専門の立場からの研究が待たれます。
また、ホツマの舞台は、北は津軽から南の鹿児島にまで及び、ホツマに関係する土地、神社、遺跡、風俗、行事、方言などは日本全土いたる所にあり、その正しい由緒、発祥のいわれなどが究明されることを待っています。
日本の神社は、畏れ多いことながら伊勢神宮をはじめとして、殆どの神社の由緒も祭神も曖昧でその正しい姿は伝えられていません。これは「古事記」「日本書紀」の編纂、神仏習合などと密接な関係があります。これらの事柄についても明らかにしていきたいものです。
本誌の目的は、日本中にあるこれらのことを掘り起こし、その実相を探求することにあります。全国の、古代に関心を抱く方々には身近にあるこれらの事柄をお調べの上、ご寄稿頂ければ幸いに存じます。
ホツマ研究者の先達者、松本先生が二十年以上にわたり続けてこられたホツマ研究誌「月刊ほつま」は、積年のご心労が先生の身体をむしばみ、数度の手術を受けられたこともあって体力的にも限界となり、この程ついに廃刊の止むなきに到りました。先生が灯し続けてきたホツマの灯を絶やすことなく、そして蒔かれた種がいま漸く芽を出したところです。これが大きく育ち拡がるよう努力しなければの思いで一杯です。
幸い、松本先生はじめ、東京赤坂会の仲間、中部、近畿在住の古くからの会員、地元東北の同志を中心として多くの方々のご賛同ご支援を得ることができました。日本の心そのものである『ホツマ』が、日本中に行き亘ることを祈りたいと思います
(会誌ホツマ 編集人)

平成七年一月一日創刊号 巻頭言

「ほつま」合本発行に際して  松本善之助

私が昭和四十六年に発行したパンフレットが手元にある。そのはじめに「ザルに水を汲む」という私の短文がある。

いま読み返しても、私のホツマに対する率直な気持ちは変わらない。思えばこのパンフレットから自然に月刊『ほつま』を出すようになっていったのである。
その短文からお読み願うことにするが、月刊『ほつま』は、昭和四十九年二月に創刊、そして二十一年後の平成六年九月、第二百四十八号をもって幕を閉じた。二度の大病に打ち克って頑張ってきたが、ついに体力、気力の衰えには抗しがたく、止むなく終刊に至った。もちろん、これで私の「ほつま」との取組が終わったわけではない。いのちある限り、私の「ほつま」への思いには一寸の揺るぎもない。改めて早期発見で余命をつないでいただいた小山博士をはじめ、私をこれまで支えてくださった多くの師友や門下生達に、この場を借りて衷心よりお礼を申し上げたい。
なお、月刊『ほつま』は、安聰本『ほつまつたゑ』の編著者としてすぐれた仕事を残した鏑邦男兄に後を託すこととした。

ところで最近、私のところに月刊『ほつま』のバックナンバーを希望してくるひとが増えた。無人の荒野を文字通り血の汗を流しながら私は歩いてきたのだが、その道をたどってきようという人たちが出てきたということだろうか。
『ほつまつたゑ』一書にて足れりとする風潮も一方には見受けられるが、『ほつまつたゑ』の奉呈文には、二つに割った瓜が合わさってちょうどぴったり一つになるように、『ほつまつたゑ』と『みかさふみ』とは、本来、一体のものであるということが説かれている。
私はこの二書に『ふとまに』を加えた三書が揃って、初めて真理に至るのだと信じている。今後いよいよこの三書究明の意義は重要になる。研究者一段の精進を祈ってやまない。
終刊から五年後、立ち消えになっていた合本がようやく陽の目を見ることになった。『ほつまつたゑ』を本格的に学ぼうとする人たちの杖となるように願っている。

ミカサフミ ホツマツタヘ(まま)と
フトマニに ひたすら学ぶ
ただひたすらに     (昭和四十一年 作)

(平成十一年初夏 雪谷の自宅書斎にて)

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ザルに水を汲む   松本善之助

ホツマ・ツタヘを発見してから、すでに四年になる。だが、全体の三分の一をようやく読んだに過ぎない。正に牛歩遅々たりである。しかし、一度知りえた醍醐味は、忘れようにも忘れられなし。何でもそうだが、自分でいいと思へば、人にも知らせ一緒にやらうと勧めたくなるのは人情である。しかし、人を誘はうとすれば、多少の効能書を並べなくては、相手にとって何のことか解らない。ところが、これが難しい。玄米はいいと云ったとて、所詮、食べた者でなくては、その味はわからない。百万遍ゴタクを並べたとて食べない者は食べないのである。ましてや、事は神様に関してである。神武天皇様前後から、さらに古代の事柄を研究しようといふのである。よほど、趣味のある者でなくては、初めから話にはならない。私自身あんまり難しい事は学者に任せて、その料理してくれたものをご馳走になればいいと思ってゐたが、どうもさういふ訳にもいかないらしい。その料理を説明するのは、これまた、ややこしい。しかし、体験者には解るといふ意味では、前記、玄米の例と同じである。

ガリレオは、地球の方が動いてゐると云って、迫害はその遺骸にまで及んだ。今のご時世だから、我々は、まさか、そんなことにはならないだらうが、これが戦前だったら、まさに網走で、一生を棒にふったかもしれない。それほどに、この書物は反体制的である。戦争に負けなかったら、この古典は、まだまだ地中深く潜んでゐて、我々ごときとてもお目にかかることはなかっただらう。
古事記も、日本書紀も、古代の日本を明らかにしようと努めてはゐた。しかし、そのネタ本がまづかったから、、ギクシャクしたものになってしまった。そのネタ本といふのは、神代文字で書かれたホツマ・ツタヘを、聖徳太子ごろ、漢ごころで取捨し、漢字漢文体に翻訳したり、翻案したりしてできたものなのである。虚心坦懐、ホツマ・ツタヘを繙くなら、このことは歴然として疑う余地はない。四年間かけて、この三行のことだけははっきりした。このことにビックリする者なら、ホツマ・ツタヘは関心の的とならうし何も感じない者にとっては、三文の値打もない。我々にとって、このネタ本説は収穫ではあったが、ここで腰を下ろしてしまふ訳にはいかない。これから先こそが本題だからである。ところが、その道は、深くて見当もつかない。公案が通る予測は、まだ掴めないが、できるのは、ザルに水を汲むことだけである。

『検証ホツマツタヱ』 創刊号 編集後記

この本は、今だ偽書説のそしりを免れないヲシデ古文書『ホツマツタヱ』を、論証的かつ学術的見地から研究を重ねている方々の成果を、世に問うというコンセプトのもとに編集いたしました。
従って、各論文の内容につきましては、全て著者の責に帰すことを大原則にしておりますので、編者はレイアウトのみを担当し、例え、誤字・脱字・ワープロの誤植など、明らかな間違いであっても、著者の了解を得ないでの訂正等は差し控えました。この本の第一の目的は、ホツマツタヱに対する独善的な解釈、あるいは主観的な論評を排除し、健全で客観的な真贋論争を広く喚起しようとするものです。
最後に、発行人である宮永光雄氏および著者諸氏の深い見識と、真摯な研究態度に敬意を表すと共に、多大なご協力を戴いて赤坂研究会のメンバー諸兄に感謝いたします。

日本製木造スクーナ帆船AMI号

ヲシテ文献研究専門同人誌『検証ホツマツタヱ』創刊12年

『ほつまつたゑ』の再発見者、松本善之助先生が、編集発行していた月刊『ほつま』の霊脈を継ぐ、研究誌『検証ホツマツタヱ』が、創刊12年になりました。

このたび編集体制を一新し、全国の在野研究者をつなぐヲシテ文献の定期刊行研究誌として、新たに、公式ウェブサイトを開設することとなりました。初学者から、長年の研究者まで、愛読者の方々にさらなる理解発見のための利便をご提供したいと思います。

みなさまと一緒に育てていくウェブサイトを目指しますので、忌憚のないご意見、ご助言をお願い申し上げます。

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