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<第71号> 平成26年2月15日
京丹後市峰山町 二箇「月の輪田」と苗代「清水戸」
吉田六雄
ホツマの生徒と先生の問答④ 「ミヤビ(雅)編」
吉田六雄
丹後国風土記 豊受神伝承とホツマツタヱ
紀元前4世紀 宮津の宮で細矛国を治めたタマキネ(トヨケ)
吉田六雄
京丹後市峰山町 比沼麻奈為神社 豊受大神宮元宮の地 ~ホツマツタヱのアマカミ(天神)~
大江幸久
伊勢豊受大神宮の故地
比沼麻奈為神社を訪ねて
比沼麻奈為神社の社地、社殿を歩く
比沼麻奈為神社より頂いた、神社由緒略記より
久次の地名の変遷
峰山町久次に遺す神道の祭式・祀り
久次岳のイワクラを歩く
天の真名井の伝承
穂井の段を歩く
麻奈為の瀧(千切りヶ淵)を歩く
切畑の湧水を歩く
籾種をつけた清水戸(せいすいど)<稲種漬井>
地名と遺跡・諸伝承の考証
丹波道主命の本拠 船岡山(府の岡)
稲作を始められた半月形の月の輪とその伝承
もう一つの稲作発祥地とその伝承
周辺関連の地
宮津市江尻の真名井神社
天照大御神 御神祠 木遣歌
小西良太
かくて歴史は神代から現代までつながった (六)
今村聰夫
(一六)敏達崩御から用明朝の混乱
(一七)物部氏の滅亡
(一八)失われた神道の原理
(一九)蘇我馬子と崇峻天皇
空海と密教、 『ホツマツタヱ』との関わり
志村日南代
1. 土俵から見た五大元素
2. 『ホツマツタヱ』と日本に伝来した曼荼羅
カミとホトケの不思議な共存 ~神仏習合の淵源を問ふ~ (二)
宏道
6.祥月命日の御魂祭り
7.四十九の法要
静岡ハラミ便り
志村日南代
画像 横浜市内「思金神社」のHPに『ホツマツタヱ』が掲載
編集後記
<第72号> 平成26年4月19日
ホツマの論点
創喜
ホツマの魔力と編集体制刷新
かくて歴史は神代から現代までつながった(七)
今村聰夫
(二十)用明・崇峻へ皇位継承の謎
(二十一)女性天皇誕生へ向けて
(二十二)初の女帝推古天皇
首相の靖国参拝は日本人の心
今村聰夫
はじめに
健全な日本の若い世代
日本民族固有の思想
ホツマツタヱの思想
日本民族は死者の魂を裁かない
おわりに
カミとホトケの不思議な共存 ~神仏習合の淵源を問ふ~ (三)
宏道
8.位牌の原形は何だったか
9.聖丈柱木と心御柱
ミネイリとミチユキ ~神仏習合の淵源を問ふ~ 第二部
宏道
故人の霊魂はなぜ、山へ往くのか
巡礼とはなにをめざす修行なのか
ほつまつたゑトピックス 「ホツマで解る古代史の謎」①
駒形一登
たなばた
ひなまつり
酒
床入り
食と寿命の関係
編集後記
<第73号> 平成26年6月21日
ホツマの論点
創喜
分科会立ち上げの勧め
かくて歴史は神代から現代までつながった(八)
今村聰夫
(二十三)聖徳太子の立場
八、聖徳太子
(一)推古朝とは
(二)聖徳太子の施政とは
(三)太子憲法
(四)聖徳太子の遠大な構想
六甲山・瀬織津姫とワカ姫 ●和す・尽くす 聖徳太子による神仏習合 <前編>
大江幸久
はじめに
六甲山周辺の社寺と伝承
◇ 『記紀』には登場しない瀬織津姫
◇ ムコ、ムカツ
◇ 廣田神社、西宮大社町
◇ 隠される瀬織津姫の御名 古事記一千三百年の封印を解き放つ
◇ 瀬織津姫が『古事記』・『日本書紀』に登場しない理由
◇ 神仏習合を前提とした仏教国境化
◇ 国祖・伊勢祭神の思想を継承する聖徳太子
◇ 六甲山とその周辺での神仏習合の動き
◇ 六甲山弁財天は瀬織津姫
- 役行者と天照大神・瀬織津姫
- 天照大神=毘沙門天
◇ 瀬織津姫=吉祥天・弁財天の守護
- 天武天皇と天河の天女
- 天武天皇を継承する役行者と空海
◇ 伊雑宮と伊勢神宮
清藤新訳に期待
今村聰夫
新連載 『わたしのほつまつたゑ』
清藤直樹
『わたしのほつまつたゑ』を述ぶ(その一)
『わたしのほつまつたゑ』(1)
ほつまつたゑ御機の初 東西の名と穂虫去る文
ほつまつたゑトピックス 「ホツマで解る古代史の謎」②
駒形一登
和歌
枕詞 「あしひき」「しまつとり」「おきつとり」
新コーナー ホツマ関連書籍<自著>を語る 第一回
熊谷達央 (盛岡ホツマの会)
『なぜ発芽玄米食は体にいいのか』出版に寄せて
報道記事 発芽玄米食理解へ手引き 岩手日報
『検証ホツマツタヱ』新コーナー&新企画
編集部
編集後記
ホツマ偽書説HPの根拠とされる項目
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