五七調 読み下しホツマツタヱ 序
執筆者 宏道
<注記> ホツマツタヱ関連文献は、その原典がヲシテといふ特殊文字、いはゆる神代文字の一種で表記されてゐます。ヲシテ文献とも称されるこれら関連文献の原文解釈を多くの在野研究者がすすめてゐますが、その際、ヲシテ原文(真名)を「漢字仮名交じりの読み下し文」に置き換へること<直訳と名付ける研究者もゐる>が通常はじめに行はれます。<*ヲシテ原文をひらかなもしくはカタカナに置き換へるといふ作業を(真名)から(仮名)への仮名変換といふ。>
松本善之助先生による文献の再発見以来、先生ご自身、また数多くの在野研究者がそれぞれの読解に基づき「読み下し文」を試みてきました。
この置き換へを認めぬ立場もありますが、ひとまず置き、「読み下し文」(全文)が必要とされる事由を考へてみますと、
1.ヲシテ文献の原文(真名/仮名)にふれる機会は、一般的には極めて少ない。
2.ヲシテ文献に関心を持っても、手頃な市販本には抄訳しか紹介されていない。
3.ヲシテ文献否定論者の中にも、実際は原文を読んだことのない人が多い。
4.しかし、ひらがな、カタカナだけ(「仮名表記」)では、現代人には読み取りが困難。ましてヲシテ表記(「真名表記」)の読み取りは、訓練なくしては不可能。
5.より深い解釈につながる語義判断が、「読み下し文」によって大略では示されるので、全体像をつかむ手助けとなる。
このやうな必要性が有る故でせう、これまでに多くの在野研究者による「読み下し文」が公開されてゐます。しかしながら、現時点(平成14年)での課題を愚考しますと、次のやうな事項が浮かび上がります。
1.先行研究者による「読み下し文」は、<仮名表記+読み下し文>といふ構成を前提にして読み下されてゐるので、「読み下し文」そのもののリズムは五七調を崩してゐる。
2.ところが初学者の場合、仮名表記は飛ばして、読み下し文をまず目で追ふので、読み下し文が五七調のリズムを失ってゐると、原文にある五七の味わいを欠落させたまま、頭に入れてしまうことになる。
3.「ふりがな」を活用する読み下し文も多くあるが、「引用文」として紹介されるときにふりがなが適切に配置されるとは限らない。
4.そのため、原文を熟知する研究者にとっては自明な読みであっても、初学者には読解が不能であったり、中級者においても、読み下しが特殊な用字でなされてゐると、「読み」に詰まる場合が往々生じる。
5.原文の五七の音声(ねこえ)が明快にわかりやすい読み下し文が、記紀その他、他文献との比較のためにも必須だが、深い読解を試みるほど五七と離れる矛盾が生じる。
6.また、そもそも漢字置き換へすると、語義が狭められたり変質する場合がある。
7.特に現代ではその元々の本義が失われてゐる特定語句については、その深い本義の由縁、また掛詞の理解がないと原文の真意をつかむことが出来ない。逆に妨げになることもある。
8.一方で、今日も使用している語句、地名なども、ホツマ伝承でその本義が理解できることが多く見られるが、定着している語句表記を無視すると、こんどは比較解釈の妨げになる。
以上のような、問題意識から、次のような原則を立て、これまでの先行研究者の読み下し文を比較しつつ、新たな提示を試みた。
<読み下し三大原則>
1.ヲシテ原文の音声がわかりやすい
2.神名や地名など定着した語を示す
3.そのうえで本義や、掛詞をしめす
いずれにせよ、「読み下し文」は便宜的表記にすぎず、
以下にあげるやうな限界性があることを蛇足ながら付記します。
<読み下しの限界>
1.ホツマ伝承理解は異形文字ふくむヲシテ表記を読み取ってこそ、さらなる深みへの到達がのぞめる。
2.ホツマ伝承においては一字ごとに本義があるが、漢字変換による「そのくだりにおける」解釈にとどめる。また、漢字そのものの原義に踏み込まない。
3.写本によって原文に異同が若干有るが、そこには踏み込まない。
4.地名表記は、定着表記を優先するが、現代の地名地と同一地点とはかぎらない。
5.解釈しきれていない難語が多く残る。文節の切れめについても、異論が残る状態である。
<凡例>
原文(まな)が予測しやすい書き方 例 「あさまつり(朝政)」
文節判断を明瞭に 例 「今 召さるれば」
文の区切りに句点を付け、適宜、行間を空ける
漢字読み下しは (○△◇) 語意は <○△◇>
くっつきの オ は 「を」 くっつきの ワ は 「は」
固有地名人名は、「カタカナ(漢字)」を本則とする
日本書紀表記を尊重 特に神名ならびに神道用語
掛詞を表現する 「○○/△△」 例 <和歌/湧歌/若>
正仮名遣ひを尊重するが、えゑ、おを、えへ、の原文特徴は原文ママとして活かす
難語は、カタカナ表記する 「○○<仮表記/意味>」
歌謡には通し番号をつけた.
(以上)