バックナンバー総目次 61号から70号

20140625114704

<第61号> 平成24年6月16日

 

十周年祝辞

原田武虎

発刊十周年おめでとうございます ツツウタ(後編)

 

ホツマの世界 彼は目黒と その里お 名付け賜る

吉田六雄

あらすじ

1.現在に眠る「メグロ」の里

目黒の里

全国の目黒の地名

横浜市の目黒町とその交差点

2.古代「メグロの里」が眠るホツマツタヱ

「ホツマツタヱ」40アヤのあらすじ

ヤマトタケを辞む

国神の教え

国神の教えを体得していたニニキネ

熱田神と氷川神

熱田神は、伊勢神宮と同格の語源

彼は目黒と その里お 名付け賜る

料理の祖神 磐鹿六雁

トラガシの住み家「目黒」

ホツマツタヱの「目黒」の場所が不特定

「目黒」の語源に迫る

「目黒」の語源はハラミ山にヒントがあった

ハラミ山、大山が完全に重なり合う場所の特定方法

ハラミ山、大山の影の地が「目黒の地」であった

3.ホツマの神々の年代

ヤマトタケ編

ヤマトタケの生涯年齢の検証

ヤマトタケの生涯年齢

姉ヶ崎の由来

 

『ホツマツタヱ』真書の証明

朝間ヒラク

第二十一章 日本語あれこれ ⑲

イラン語などにホツマ古語

論争や反発は良いことである

新しい発見の喜び

安齋育郎『人はなぜ騙されるのか』

世界最古の琴が是川遺跡で出土

謎のトトロ石器もミミズク形

燕尾形磨製石器も秋田から出土

ホツマ一音節語「コ」

朝間ヒラク

 

入れ墨考

朝間ヒラク

古事記の入れ墨文化記事は誤訳

 

発刊十周年をむかえて

宮永光雄

 

古事記とホツマツタヱの二書比較 <その九>

今村聰夫

八俣大蛇及び系譜

古事記本文訳(九)

八俣の大蛇

系譜

解説(九)

ホツマツタヱ訳(九)

比較論考(九)

 

ホツマ伝来事情を考える (一)

今村聰夫

はじめに

応神天皇の四人の皇子

松本師が不信とされたこと

『和解三尾大明神本土記』について

ホツマを補填する資料

画像 水尾神社  阿志都彌神社

 

松本善之助先生の業績 ウィキペディアに掲載

赤坂研究会

 

編集後記

 

 

<第62号> 平成24年8月18日

 

ホツマの論点

語順のルーツは日本語風

 

ホツマの世界 ソサノオ、オホナムチから続くモノヌシ(大物主)の在位年数

吉田六雄

あらすじ

1.ソサノオ、モノヌシを司るクシヒコ~ワニヒコ

ソサノオ、モノヌシの家系

イミナと称え名

モノヌシを賜る

ソサノオ、モノヌシの在位年代

ソサノオ、初代モノヌシ、二代モノヌシ編

(一)                                  氷川神のソサノオ

(二)                                  初代モノヌシ、オホナムチ、クシキネ

(三)                                  二代モノヌシ、クシヒコ

2.二代モノヌシ~六代モノヌシ編

(四)三代モノヌシ、ミホヒコ

(五)四代モノヌシ、カンタチ

(六)五代モノヌシ、フキネ

(七)6ダイモノヌシ、ワニヒコ

Ⅱ ホツマツタヱの記述の精査

モノヌシ、オオヤマスミの在位年数の比較と結果

計算に使用の換算、西暦年の一人平均在位期間の比較

各々の在位期間を求め、合計より算出した一人平均在位期間の比較

 

『ホツマツタヱ』真書の証明

朝間ヒラク

第二十一章 日本語あれこれ ⑳

誤訳も無知と不注意で起こる

「サルタ遭難」エイ新説について

朝間ヒラク

 

ホツマ一音節語「サ」

朝間ヒラク

 

今村最終批判「皇后の権利」

朝間ヒラク

倒置法の読みも違う

世継ぎを生むのは「皇后の権利」

狐につままれた今村訳の正体

「シム(同族)の恥」は何が恥か

父子関係悪化は姫の知らぬことか

姫はヲシモメとして下賜された

今村作『プロポーズの場』はない

コト女が必死の注進

クシミカタマの苦肉の策

高級なツツ歌は十九歳の作

今村訳 あり得ない日本語

今村氏のドメ=ひどい目は誤訳

タギシミミはやはり悪人

一介のヲシモ女記事がなぜ多い?

神武の激怒などどこにもないか?

『ウナヅキ奪う』を二度訳した?

「激怒説」は開化立后へジャンプ

制止は悲劇の妃記事を抹殺

『古事記』はイスキヨリ秘めに同情

 

古事記とホツマツタヱの二書比較 <その十>

今村聰夫

大国主の命

古事記本文訳(十-一)

兎と鰐

きさ貝比売と蛤(うむ)貝比売

根の堅州国(かたすくに)

八千矛の神の歌物語

比較論考(十-一)

 

ホツマ伝来事情を考える (二)

今村聰夫

野々村家蔵本

ホツマ伝来に二度の危機

歴史の変転

聖武天皇から孝謙・称徳天皇

光仁天皇の時代

桓武天皇

 

編集後記

 

 

<第63号> 平成24年10月20日

 

ホツマの論点

創喜

理科系人間と文化系人間

 

ホツマの世界 ホツマの「ヰツナ」と高尾山、津久井城の「飯縄(網)」

吉田六雄

あらすじ

1.    現在に映える「ヰツナ」

一.    津久井城の飯縄神社

二.    飯縄権現

三.    信州、関東平野の周辺の山々の「飯縄」

四.    高尾山薬王院

五.    長野県飯縄山山頂の飯縄神社

2.    魂返し ハタレ討つアヤ(文)

一.    ヰツナ

二.    アマテルの御世

三.    ハタレの乱の始まり

四.    神軍、ハタレ征伐(八文、一四~一七文)

五.    ハタレを生け捕る(八文、一七~二二文)

六.    またハタレ立山に現れる(八文、二二~二六文)

七.    ハタレ怒る(八文、二六~三〇文)

八.    ハタレ伊予、紀志井国を攻める(八文、三〇~三三文)

 

日本人は、なぜ東西南北と言うのか?  ホツマ語は、言霊だった

創喜

はじめに

日本語は、言霊

南無阿弥陀仏は日本の思想

日本の五行

キ・ツ・ヲ・サ・ネ(東西南北)から生まれた言葉

南は精神の生まれるところ

北は精神の鎮まるところ

東西(キツ)よりも南北(サネ)

風東南西(イキサツ)

東(キ)は生命の根源

西(ツ)は命の尽きるところ

輪廻転生の思想

 

『ホツマツタヱ』真書の証明

朝間ヒラク

第二十二章 ホツマと世界 ①

拙論「一音節語」はあと6年

曼珠沙華はサンスクリット

ホツマ時代から「L」音はなかった

阿志都弥(アシヅミ)神社の意味

俳人ドゥーグル・リンジィーに驚き

 

ホツマ一音節語「シ」

朝間ヒラク

形容詞基本形『シ』はドングリ

事柄を並列する時の助詞

「シワ」はポーランド語で「力」

 

藻塩焼きは縄文時代から

朝間ヒラク

 

古事記とホツマツタヱの二書比較 <その十一>

今村聰夫

古事記本文訳(十一の一)

大国主の神の系譜

少名毘古那の神

御諸山の神

解説(十一の一)

ホツマツタヱ訳(十一の一)

比較論考(十一の一)

 

ホツマ伝来事情を考える (三)

今村聰夫

早良(さわら)親王の怨霊

平安京遷都

桓武天皇と祭祀について

桓武天皇以後

 

画像 雲取山より望む富士山

 

編集後記

 

 

 

<第64号> 平成24年12月15日

 

ホツマの論点

創喜

「ユウ」と木綿

 

ホツマの世界 ホツマ暦を知らずに「欠史八代」が提唱されていた

吉田六雄

あらすじ

1.    ホツマツタヱとの出会い

一.    高千穂の古代体験

二.    ホツマツタヱとの出会い

三.    「暦法で考える欠史八代」原稿の投稿

2.    古事記及び日本書紀の研究

一.「古事記及び日本書紀の研究」本との出会い

二.『記紀・研究』本の総論

三.『記紀・研究本』の結論

四.筆者の発見

3.津田左右吉氏が、解読できなかった古代日本について

一.銅製品、暦の無知識論争

筆者の意見

二.初代天皇論争

三.天皇の発祥地論争

 

『ホツマツタヱ』真書の証明

朝間ヒラク

第二十二章 ホツマと世界 ②

学界のレベルは上がっている?

人麻呂の歌聖化はホツマ顕彰から

 

ホツマ一音節語 「ス」

朝間ヒラク

玖賀姫はイスキヨリ姫物語を脚色

朝間ヒラク

62号「皇后の権利」から新発展

『ホツマツタヱ』のイスキヨリ姫との類似

 

古事記とホツマツタヱの二書比較 <その十一>

今村聰夫

古事記本文訳(十一の二)

天若日子

国譲り

解説

ホツマ訳

比較論考

 

伝承の時代を飾る四代天神

今村聰夫

一.    序説

二.    寒川神社の祭神について

三.    日本の伝統文化を築いた天神 第四代

四.    ウビチニの寒川伝承から

五.    第四代天神と寒川神社の地理的考察

六.    結尾

 

編集後記

 

 

 

 

** 以下 工事中 **

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