バックナンバー総目次 31号から60号
<第31号> 平成19年6月16日
ホツマの論点
編集部
『フトマニ』と清藤直樹氏からの手紙
『ホツマツタヱ』真書の証明
朝間ヒラク
第十七章 不比等 ①
記紀の陰に藤原不比等の陰謀
藤原氏は成り上がり貴族ではなかった
和銅元年の『禁書』とは何か
天智から贈られた藤原姓の語源
天照大神は男性指導者だった
春日神社の姫神は伊勢から来たか
天武天皇はアマテル女神化に無縁
推古天皇は何もしなかったか
最初の女帝推古誕生の謎
祖母から孫への譲位は『ホツマツタヱ』に存在しなかった
『天孫降臨』の謎は解明された
養老律令に藤原系天皇の強化
政治的配慮で免税記事を新税記事に改悪
『続日本紀』の禁書所持処罰令は『ホツマツタヱ』が対象
『先代聖賢所記』が『ホツマツタヱ』である
カナが二種類も生まれた理由
文化政策『風土記』撰進の裏面
フトマニ占い手順 ~ひとつの推論~
清藤直樹
原文と現代訳 28アヤ
ホツマツタヱミハタノフソヤ キミトミノコシノリノアヤ(上)
今村聰夫
ホツマツタヱ「ゆかりの地」を歩く
吉田六雄
天孫降臨の地と熊襲の古里を捜して (2)
霧島神宮
霧島神宮の御社殿
ホツマの鹿児島宮
鹿児島神宮
ヤマトタケに滅ぼされた熊襲
熊襲の地を捜して
鹿児島神宮史より見る「熊襲の地」
熊襲の本拠地、曽隼人はどこか
隼人町が、熊襲の本拠地であった
画像 京都市宮津市 籠神社
編集後記
<第32号> 平成19年8月18日
ホツマの論点
堀誠宏
アマテル神の御降誕秘話
アマテル神の年齢考察
『ホツマツタヱ』真書の証明
朝間ヒラク
第十七章 不比等 ②
持統記六年献上の『神宝書』の原型
『ホツマツタヱ』禁書で得た利益
「文字なし」とした『古語拾遺』の実態
真実を知る権利
「アワの歌」私解
朝間ヒラク
古い「アワ歌」私解を載せる理由
アカハナマ
「アワの歌」の目的
『天地(あめつち)の詞』完成度低い失敗作
『天地(あめつち)の詞』
『たゐにの歌』も失敗作
『たゐにの歌』
名作『いろは歌』に欠点
またまた大野普氏を批判
「七(ナ)」が「ナナ」になった理由
「足手まとい」を「手足まとい」といわない理由
難解『フトマニ』を分析する <5>
朝間ヒラク
人気沸騰の清藤論文を検討する
『フトマニ』表示法は二種類か?
『フトマニ』歌は三つの数字で表記してあるか?
「八一の五」は数字ではない
「ヤヒ」は「お灸」である
「シのハラ」歌を「八一の五」から選び出すのはくどくないか
マチ=『フトマニ』の別称
安聡も「八一之五」「五六之三」
藤原氏は本当にアメノコヤネの子孫か?
浅木若子
原文と現代訳 28アヤ
ホツマツタヱミハタノフソヤ キミトミノコシノリノアヤ(下)
今村聰夫
ホツマの論点
堀誠宏
天照大神の御宝算 補足
ホツマツタヱの暦の考察 スス暦
吉田六雄
伊勢神宮(外宮)に、ホツマツタヱがあった
倭姫とスス暦
スス暦の大きい暦数字
倭姫命世紀
外宮に実在した、スス暦
倭姫命世紀の大きい暦数字の検証
倭姫命世紀をホツマツタヱで検証
ホツマツタヱで見る御世(統治期間)
1,792,470余年の検証
アマテル神の誕生~スス暦の期間
アマテル神の生まれが、初年
倭姫命世紀に寄せて
フトマニ考
吉田六雄
和仁估安聡本『ホツマツタヱ』文 ホツマ・フトマニの占い
中国より渡来の「太占」「八卦」
ホツマ・フトマニの占い手順(マニアル)
フトマニ図
フトマニの語順を考える
モトアケ(フトマニ図)
モトアケと亀の甲羅模様の比較
日本古来の呪文
編集後記
** 以下 工事中 **